躁状態の「頑張り」と、鬱状態の「頑張り」の違い。
躁状態の「頑張り」と、鬱状態の「頑張り」は、『明確に違う』。
躁鬱病(双極性障害)の妻と長年一緒に生活してきて、躁状態と鬱状態の見分けは簡単にできるようになりました。
この記事では、そんな私から見た
躁状態の頑張り
鬱状態の頑張り
二つの違いを書いていきたいと思います。
当事者ではない点だけ念頭に置いて頂くことを、ご了承ください。
躁状態の、頑張り。
まず躁状態から。
病理的なことは専門の書籍等に任せるとして、躁状態とは、簡単に言えば「気分が長期間、極端なハイになって、中々降りてこない状態」だと思ってください。
気分が良い日があるとか、そういうレベルではありません。
極端に言うと、いつ「私は神だ」と言い出してもおかしくないような、根拠のない万能感を持っている状態です。
普通の人間は、自分にできそうもないことをしなければならない時、「できるだろうか」という不安を抱えながら、取り組みます。
しかし躁状態になると、「私には何でもできる」に変わってしまうのです。
よく考えずに突飛な行動をするため、例えば突然道へ飛び出す危険性が高いなど、普通なら起こりえないような不注意による事故の危険が常に付きまといます。
そして「私は何でもできる」という考えから、友人や知人、場合によっては完全な他人に対してであっても、「あなたはこうするべき」とか異常に強い口調で押し付けがましく言ってしまい、社会的信用を失います。
よく考えずに喋るから、とにかく口数も増えます。
そんな躁状態の人は、上手く立ち回っている場合において、非常に頼りになる頑張り屋と思われることもあります。
何せ本気で「自分は何でもできる」と信じ込んでいるのですから、ある意味強い人間です。
しかしそんなに強い人間はいません。
色々なことを抱え込み、寝食を忘れるほど思考も行動も飛び回った結果、どこかで力尽きます。
「異常なハイテンション」「万能感」「不注意」等が、躁状態における「頑張り」の特徴です。
鬱状態の、頑張り。
一方、鬱状態の「頑張り」はどうでしょうか。
鬱状態なので、常に疲れた顔をして、口数は少なく、声のトーンは低く、まるで一滴の水を探して砂漠を彷徨っているかの如く、苦しそうに作業をしながら少しでも休める時間を求めます。
これを私は無謀な有酸素生活と勝手に呼んでいます。
本人にとって無理しないペースで、適切な休憩と栄養補給を挟めば、人間は走り続けることができます。
これが健康的な有酸素生活。
無理なペースで生活していると、途端に身体は重くなり、酸素は不足し、いつか倒れます。
そして更に、無理なペースでいつか倒れてしまいそうだけれど、それでも休めない時。
どうしても無理を続けなければならない時。
私は無酸素生活と呼んでいますが
つまり、もう呼吸を止めて、瞬間的な力に頼っている状態。
当然の事ながら、無酸素生活は長続きしません。するわけがありません。
締め切り直前の漫画家や作家が忙しいとしても、それを何日続けられるかと言えば、恐らく一ヶ月も続かないでしょう。
無酸素生活のあとに呼吸できる時間があれば良いのですが、呼吸に例えると鬱状態は常に酸欠に陥るような病気ですから、満足に回復するにはとても長く、しっかりと深い呼吸をしなくてはなりません。
そのためには、入院管理を含めた静養が必要です。
躁状態は無酸素生活を続けてしまうから、反動が物凄い。
躁状態が終わる瞬間は、とても怖いものです。
徐々に軟着陸してくれれば良いのですが、中々そう上手くはいきません。
最悪の場合、身も心もボロボロになり、人間関係は崩れ去り、社会的信用は地に落ちている可能性もあります。
無酸素生活のまま暴れ回った結果、代償は、とても大きなものです。
ほとんどの場合において、躁状態の終わりは健康の始まりではありません。鬱状態の始まりです。
鬱病患者にとって、上に書いた「身も心もボロボロになり、人間関係は崩れ去り、社会的信用は地に落ちて」は、致命傷になり得るような、大きな傷となります。
躁状態の終わりはとにかく怖い。これが躁鬱病の妻を隣で見てきた私の思うことです。
鬱状態も、反動は強い。
しかし、鬱の方がマシというわけでもありません。
躁状態のように周囲の信用を乱暴に失う可能性は低いものの、精神的にはボロボロになります。
どちらにせよ、無理をするという行為は、健康な人間が健康状態を崩さない範疇で行う行為であって、病気、特に精神的な病の人間は、できるだけ避けた方が良いでしょう。
「頑張る」と言えば聞こえは良いですが、鬱病患者にとっての「頑張る」は、ほとんど「無理をする」と同じ意味です。
それでも避けられなかった場合、大きな休憩期間を設ける必要があります。
どうしても休憩期間が作れない場合は、入院しちゃいましょう。
規則正しい生活と確実な休息、栄養管理が待っています。
生きるための呼吸ができなくなって死ぬよりは、ずっとマシです。