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病気や子育てについて書くつもりが、趣味の話が増えてしまった雑多ブログ。

【HSC】内向的でいいんだよ【HSP】

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 HSCとは「Highly Sensitive Child」の頭文字を取った略称で、「敏感すぎる子」を指します。HSPはChildではなくPersonで、HSP、「敏感すぎる大人」となります。

 

 

「子供がHSCみたいだから、病院に連れて行こうと思うんだけれど」

先日、このような話を耳にしました。

内向的で刺激に敏感なので病院へーーという話です。(この子はすでにアスペルガーなどの発達障害ではないと診断されています)

これは親御さんの見解だけではなくて、教職員からの強い進言があったようですが。

 

まず先に書きますが、HSC(大人ならHSP)は刺激に敏感で内向的であるというだけで、病気ではありません。

また、人口の10~20%がHSCだという話もあり、子供であればクラスに数人そういう子供がいることになります。

 

「内向的」や「敏感」。それは誰から見てのものなのか。

こんな記事があります。

news.careerconnection.jp

母親の考える「理想の子供像」の一位が「コミュ力のある子」

「何かとコミュニケーション能力が求められる場や職業が増えている中で、自分で自分の意見や感情を伝えられる『コミュニケーションスキル』を持ち合わせてもらいたいと思っているママが多いのは世相を感じます」

このニュースからも解るとおり、現代日本では何よりもコミュニケーション能力が重要視されています。

これを私は勝手に外向型社会と呼んでいます。

 

社会は表面上、外交的な人間が作る

外交的な人間は、そうでない人間に比べて優れている。

そんな風に考える風潮が今の社会にはあります。

対して内向的な人間は、そうでない人間に比べると劣っている、欠点であるとされることがままあります。

ネットで【内向的】と検索しようとするとすぐに予測で「治し方」と出てきますね。

一方で【外交的】と検索しても、「治し方」なんて出てきません。

外交的な人間は人とのコミュニケーションを好み、その能力が高く、自ら社会へ向かって進んでいきます。

当然の結果として社会を形成するために積極的に行動している人間は外交的な人間が多くなります。

「彼らの作る外向型社会」から見ると内向的な人間というものは「異質な存在」となってしまうわけです。時には理解を得ることさえ難しくなるでしょう。

 

では外交的な人間と内向的な人間の違いはどこにあるのでしょうか。

 

刺激に敏感であるか、鈍感であるか

実は外交的であったり内向的であったりすることは、「敏感」か「鈍感」かという点に強く影響されます。

 

敏感な子とは

敏感な子というのは、少ない刺激で多くの事柄を感じ取ることができる人間です。

HSCもこれに当てはまるでしょう。

彼らは多くの人間関係や強すぎる刺激を求めようとしません。エネルギーを内向きに燃焼させます。

現代社会は広い人間関係を構築することを求め、ただ生きているだけでも刺激が多いため、敏感な彼らは内向的と評価されます

親しい限られた人間とのコミュニケーションだけで十分に満たされて、それだけで心地が良い。狭く深い人間関係を好み、身近な一人の人間をより理解しようとします。

風を感じるためにジェットコースターに乗る必要なんかありません。家の近くを散歩して自然な風を感じ、四季の移ろいを見るだけで心地良い刺激を受けることができます。

 

鈍感な子とは

鈍感な子とはつまり、多くの人間関係や強い刺激を受けなければ満足できない人間です。

自ら積極的に刺激を求めに行き、広い人間関係を構築し、多種多様な刺激を浴びることで満足感を得ます。エネルギーを外向きに燃焼させ、外向的な人と評価されます

また、現代社会は刺激に満ちあふれているため、彼らにとって社会がそのまま生きやすい世界となります。

ジェットコースターのような強い刺激が大好きで、そうでなければ退屈してしまう性格です。

 

生後間もない時点で内向的になるか外交的になるかは判断できる?

有名なアメリカの実験があります。

生後間もない赤ちゃんを、目の前で風船を割って反応して泣く「刺激に敏感な子」と、無反応で泣かない「刺激に鈍感な子」の二つに分類しました。

彼らが大人になってどういう性格になっていたのか。

風船が割れて泣いた敏感な子は、内向的に。

風船が割れても泣かない鈍感な子は、外交的に。

という結果になりました。

つまり刺激に対する反応が内向的であったり外交的で会ったりする事への重要な要素となっていることが証明されたわけです。

 

Facebook、好きですか?

率直に言うと、私は嫌いです。かなり内向的な人間なので、そこまでして人との繋がりを持ちたくはありません。他のSNSもそうです。親しい誰かと繋がるのは良いけれども、そうじゃない人にまでプライベートな時間を侵食されるのは嫌です。

こんなことを公言すると「あの人ちょっと変わってる」と言われがちです。

4年ぐらい前に当時の雇い主から「連絡手段はメールかLINEだけど」と言われ「LINEやってないんで、メールでお願いします」と伝えると、「韓国嫌いなの?」と返されました。そういう問題ではないのですが…。そういう風に見られるんでしょうね…。

この雇い主は非常に外交的な方でした。その視点から見ると、私のような人間は酷く異質なのです。

逆に内向的な人間には私と同じような(そこまではいかなくても、SNSは酷く疲れるというような)意見が多いと思います。

例えばMinecraftという世界中で物凄い売り上げを記録しているゲームの制作者は、自らをコンピュータオタクと表現し内向的の代表格的な存在の一人となっていっていますが、彼は「Facebookは気持ち悪い」とさえ言い放っています。

まあそこに至るまでには色々なことがあったのだと思いますが、しかしFacebookのようなSNSツールを嫌う人が一定数いるのは事実でしょう。

 

大事なのは品質よりセールストーク

突然ですが日本産製品の品質、最近大きく下がったように思いませんか?

日本人は元々品質にうるさく、職人堅気な人間が堅牢でコンパクトなものを作り、それが良しとされていました。これが脈々と受け継がれ、日本の車や家電は信頼を得て成長しました。

しかし現代社会は違います。売れなければどんなに良いものを作っても評価されず、商品の価値も低く見られてしまいます。

企業は徹底的にコストダウンを図り、安くものを作り、品質よりも宣伝で販路を切り開きました。

製品の質は当然、下がります。

職人は物事を突き詰めることに生き甲斐を感じられないと勤まらない職業でしょう。

つまり、エネルギーを内向きに消費させる敏感な人間が向いています。

日本人が良いものを作り続けることができたのは、この内向きなエネルギーを上手く活かしていたからに他ならないのです。

しかし現代社会においては売れることが正義です。彼らのような職人気質の人間よりも、外交的でセールストークの上手い人間のほうがより重要となりました。

 

学校は不動産屋の生産工場のようなもの

不動産は物件をどう上手くセールスするかで売り上げが大きく上下します。

物件そのものは同じであっても、担当者によって印象が大きく変わるのです。

当然それは外交的な人間のほうが適役であり、内向的な人間には向いていません。

学校では友人を多く作ることのできる生徒が教師にも生徒にも評価され、いわゆるスクールカーストでも上位に位置します。

小学一年生になれば「友達100人できるかな」からスタートです。

教師は「周りの人と協力して達成しましょう」というグループ課題を好んで出します。

つまるところより広い人間関係を構築できる外交的でエネルギーを外向きに燃焼させられる生徒こそが、理想的な学生像です。

そして先述のニュースにもあるとおり、親にとっての理想の子供像も、外交的な人間です。

教師も親も子供を外交的に育てようと頑張ります。

コミュニケーション能力が高ければ、自分という商品をより高く売り付けることができるのです。

特に教職員は外交的であるように育てる学校を出て、また学校へ戻ってくるのですから、教職員が外交的であることが多いのは当然の帰結となります。

 

外交的すぎる社会は嘘が支配する

さて、現代社会は外交的社会であり外交的な人間によって回っていると言うことを長々と書き連ねました。

それによって現在の日本はどのような状況になったでしょうか。

  • 虚偽報告による不正問題が多発し
  • セールスに見合わない品質で信頼を落とし
  • 一般人が必死にSNSで生活を「盛ろう」とする

嘘に支配された社会が出来上がりました。

これは決して外交的な人間が嘘吐きだといいたいのではなく、外交的に生きることを強要した結果このような社会になったのだと私は考えます。

内向的な人間やそれほど外交的でない人間を「外交的に生きるように教育」する時点で、自分を嘘で上塗りしてでも他人にセールスしろと教えているようなものです。

 

それよりも自分の質を高めて、正当に評価してくれる人間と触れ合って生きるほうが、ずっと良いのではないでしょうか。

 

「不動産屋に向かないから病院へ行け」と言っているようなもの

話を元に戻します。

HSCを疑って病院へ足を運ぶように進言した教職員は、悪気があるとかないとかいう問題ではなく、外交的に偏りすぎた社会から見てHSCを治療対象とまで考えてしまった、と予想できます。

人間を評価する基準が外交側へ思いっきり偏っているんです。

しかしHSCの当事者に外交的になるよう教育したところで、元々外交的である人間には敵いませんし、自分に嘘を吐きながら生きることは大きなストレスとなってしまうでしょう。

 

刺激に敏感で内向的な人間には、それに合った生き方がある。

大切なのは、自分に嘘を付かないで生きることができる道を探り、作り、見出すことではないでしょうか。

私は幼い頃から物凄く内向的で、全く数え切れない回数「そんな人間は社会で通用しない」と言われてきました。矯正のために体罰を受けたこともあります。

その結果、不登校になり……。楽しい学生生活というものを経験したことがほとんどありません。

社会に出てからは、自分を外交的にするために必死に努力しました。元々は作家になることが夢だったのですが、それを打ち明けると「まず社会に通用する人間になれ」と言われてしまい、ずっとそう言われて育ってきていることもあって私は洗脳状態に陥りました。

コミュニケーション能力を高く保ち続けるのが苦痛で、中々社会で通用しない私が夢を語る資格なんてないんだ、と。

そんな私の洗脳を解いてくれたのは、精神科病院の医師でした。この時、私はもうとっくに「過労うつ」になっていたんです。

この先生は私が全力で隠し続けてきた内向的な面を見抜き、見事に引きずり出しました。私自身が忘れていたような本来の性格まで全てです。

そして自分の生きる道を探ることが治療に繋がる、と。

 

そして今、夢だった作家業をしています。デザインと二足のわらじですが、両方とも好きな仕事で、その上ほとんど自宅で完結できてしまうので、私には良い環境だと感じています。

但しなんの保証もありませんから、このまま生き続けることができるのかまではわかりません。全ては自分次第と言ったところでしょう。

 

それでも無理に働くよりはずっと楽しく生きられます。

 

内向的な息子に

息子も私と同じく内向的な人間です。私よりはちょっとマシかな? という程度。

なので、苦手な友達の前では自分の意見を言えなかったり、大人数での遊びが苦手だったりします。

そんな息子を見た人から直接「このままでは駄目な子供になる」と言われたこともあります。

しかし私と妻は「無理に友達に合わせるぐらいなら、一人で遊びなさい」と言っています。

一人で遊ぶと、何か自分流の遊び(創造性)をコツコツと続けて(継続力)いたり、サッカーの練習をしたり(自主性)、妹の面倒を見たり(包容力)、家事を手伝ってくれたり(共同作業)、良いことが沢山あります。

宿題だけは何故か後回しですが!(笑)

そして相性の良い子とは満面の笑みで遊びにいき、満足して返ってきます。

相性の良い子としか遊ばないなんてただの我が儘だ! と思われるかもしれませんが、そんなことは気にしません。

無理のある人付き合いを覚えさせるよりも、もっと育むべき能力が沢山ありますから。

 

最後に

内向的であったり、刺激に敏感であることは病気ではありません。

むしろ、そういう特性を病気に当てはめようとしたり、治療しようとしたりする社会のほうが病んでいるのではないでしょうか。

 

それでも自分の生きる道は自分で見つける必要があります。

自分に嘘を吐く努力をさせる時間があるなら、そんなものは捨てて、生きる道を見つけるための力を身に付けさせましょう。

学校の先生と意見が違っても、結局その人たちはなんの責任も負いません。