mohumohux

病気や子育てについて書くつもりが、趣味の話が増えてしまった雑多ブログ。

学校に行くだけが子供の人生ではない

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小学校2年生の女の子と母親が無理心中する事件を聞いて、元不登校児で息子も不登校経験のある身として、何故そこまでに至ってしまったのかと辛くなります。


学校が休みにくいのが問題の本質ではないのか 「死にたい」は休息を求める証【母子心中事件】(石井志昂) - 個人 - Yahoo!ニュース


このエントリーは私の個人的意見ですが、誰かの役に立てればと思います。
こういう考え方もありますよ、という程度で受け止めて頂ければ幸いです。

学校や教育委員会には期待しないほうがいい

例えばうちの息子の場合、不登校の原因は二つあり、一つ目は
「初めての遠足中に負った怪我を保険の先生に報告するも治療されず、血を流したまま帰宅したこと」
これで大人への不信感が生まれました。
三年生になった今でも保健室の先生を息子は信用していません。

二つ目は担任の先生が息子の頭を「誤解をもとに小突いてしまった」こと。言わば軽い体罰です。
この二つの件が連続して起こってしまい、小学校1年生にして不登校になりました。
当然親として学校側と話し合いますが、学校側は目撃証言を把握した上で両方を「無かった」と主張しています。

学校側の対応なんて宝くじ。外れて当たり前。

先生も人間で、公務員です。
自分のマイナスになることを負って(認めて)今後に影響を出したくはありません。
しっかりした対応をするのが当然という考え方もありますが、私は「相手も人間であり、醜い面もあれば、生徒ではない守るべきもの(家族や人生)もある」と考えています。
だから認めない先生達を強く責める気はないんです。
はっきり言ってあったなかったの水掛け論なんてやりたくない
私にも守るべき息子がいるのだからそんな事をしている暇も余力もない。

「違う当たり」を探そう

学校が「外れ」なら、市の教育委員会へ。
市の教育委員会も「外れ」なら県の教育委員会へ。
病院や子育て支援の力も借りましょう。「支援することが仕事である」という場合には当たり率が格段に高まります。
この世界に聖職者なんていません。皆、ただ仕事をしているのです。
不登校児の親の会もあります。そこには同じ悩みを抱える理解者がいます。
他にも、すでに子供に旅立たれてしまった親御さんが一所懸命に新たな犠牲者を出さないための活動をしてくれていたりもします。

それでも「当たり」が見つからなかったら

最後は親の出番です。
親にとっての当たりは子供であり、子供にとっての当たりは親なのです。
学校に行かなくても勉強、運動はできます。
脳の発達さえしっかりすれば(何も気負わずとも、例えばゲームばかりしていても脳は勝手に成長します)小学2年生の脳が1年生の授業分を取り戻すのは簡単で、中学1年生になればちゃんとマイナスとマイナスを掛け算すればプラスになる数学の世界を理解することができるようになります。
もちろん苦労はします。
でもその苦労、子供にとっては将来役立つのではないでしょうか?
自学自習というのは社会人になって最も必要な能力だと私は思います。
私が作家やデザイナーなんて自学自習できない人間には絶対できないジャンルを独学だけで(とりあえず)戦えているのは、不登校の頃に1日何時間も一人で黙々と頑張る体力を付けられたからだと思います。
親も大変です。
子供の未来が不安で不安で仕方なくなります。私も、はっきり言って自分が不登校になるより息子が不登校になるほうが辛かったかもしれません。
でも。
息子が笑ってくれたとき、全てが報われるんです。学校に行って死にたくなられるより、目の前で笑われたほうが、ずっと健康で良いと思うんです。
そして「頑張らないこと」。これは不登校児だけでなく不登校児の親にも必要なことです。
同時に「諦めないこと」。
「頑張らないけど、諦めない」災害被害に何度もあったお婆ちゃんがテレビで言っていた言葉ですが、私はこの言葉が大好きです。

できれば運動をさせよう。

脳は勝手に成長します。現代は脳への刺激に溢れていて、脳の成長を止める要因はそれほどありません。
しかし運動能力は運動をしなければ身に付きません。
子供の頃に少しでも運動感覚を身に着けておけば生涯に渡って健康である確率が上がりますし
もし中学や高校で環境が変わり学校に行けるようになって突然「甲子園目指す!」とか「プロになりたい!」と言い始めたとしても、基礎体力さえあれば決してただの夢物語ではなく、実現は難しくともチャレンジする楽しさは味わえます。
ちょっと、公園に行く。
庭や駐車場で少し体を動かす。
家に懸垂バーでも取り付けてやらせてみるのもありです。うちは設置していますし、費用も5000円程度で設置できます。
子供は「できるようになる」が大好きです。
あと……現実問題として、運動の出来不出来はイジメに直結します。もっとハッキリ書けば、「もし反撃してきたら負かされそうな相手をイジメるのは難しい」のです。
運動はストレスを改善しますし、将来の健康にも関与し、イジメ克服の手段でもあるんです。
やらせない手はないですよね。
これは女の子であっても同じです。特に小学生の間は男女に運動能力の差はありません。
中学ともなると女の子はコミニュケーション能力重視に変わってきてしまいますが、それでも運動が健康と脳の発育に直結することに変わりはありませんし
運動能力があることで逆に苛められるという可能性はないでしょう。
得意な分野を作り出すというのも学校を楽しむ秘訣です。

私は学校に「いつ息子が不登校になっても構いません」と伝えてある。

これはもう、親としての覚悟です。
このブログを読んでくれている方はご存知かもしれませんが、息子は発達障害アスペルガーADHD)があり、その上場面緘黙症で自己主張ができず、身長も低く、イジメられる要素満載です。
だから義務教育期間中に絶対、最低でもあと2回ぐらいはまた不登校になると確信しています。
実は今年度も不登校になりかけました。原因は先生で、息子が人前で喋れないことを知っていて「この問題わかる人!」と手を挙げさせ、何故か手を挙げなかった息子に何度も答えさせたのです。
先生がイジメっ子体質のパターンは最悪です。
そしてこの先生、やはり「無かった」としています。最初は認めていて、クラス全員が目撃者なのに。
でもそこでやり合う意味はない。
ただ、先生にとって不登校児童を出すことは先生自身の評価的に確実にマイナスで、その原因が先生にあると親が主張することは非常にマズイのです。
だから私は堂々と「いつ不登校になっても受け入れる覚悟はしています。学校として最大限の対応を求めますし親としてできる限りのことはしますが、あったことを無かったと変える人間に期待はしません」と主張しています。(対応してくださった先生や支援者は掛け替えの無い恩人ですから当然最大限の感謝を伝えます)
この方が学校には効きます。対公務員対策です。彼らは事なかれ主義ですから、「いやいや事が起こっても受け入れますよ。どうぞまだまだ問題を起こしてください」とされると焦るのです。いっそ「この親、ヤバイぞ」と思わせましょう。

絶対にしてはならない自殺、心中。

今回の事件の母親を責めるつもりは毛頭ありません。
私は人間が自分で死を選ぶには必ず相応の理由があり、全ての自殺は批判されるべきでないと思っています。
でも絶対にしてはならないのは、自殺、そして他殺にもなる無理心中の肯定。
死んだら負けなんて言葉を言う人もいますが、死んだら無になるだけです。勝ち負けのない世界に旅立つんです。それは苦しみからの解放であり、そこまで苦しんだ人を誰が責められましょうか。
でもね、やっぱり死んじゃ駄目なんです。死んだら未来も無になるんです。今回の件では母親だってまだ人生の折返し地点にすら辿り着いていない。未来がどうなるか、まだまだ希望はあったはずです。
でも死を選ぶほど苦しんでしまう。
それは絶対に、お母さんが頑張った、頑張りすぎるまで戦った証なんです。
私はやはり自殺を責めることはできない。
だからもう一度書きます。
「頑張らないけど、諦めない」

苦しむとは「来る死」むである。

苦しいと確実に死が近づいてくるんです。
最初は遠くても、徐々に近づいてきて、いつの間にかそっとすぐそばに……。
それは死んだ人が弱いからとかじゃなくて、全ての人間がそうだと思います。
言い方を変えれば全ての人間は弱いのです。
ですから死以外の方法で苦しみを遠ざけることができれば、自殺という選択肢はどんどん薄くなります。
「自分だけでどうにもならないことを自分だけが頑張って、でもやっぱりどうにもならない」
これは相当な苦しみです。
でも死以外でも
「自分だけで」を「誰かの協力、理解を受けて」
「頑張って」を「頑張らないで」
に変えるだけで随分変わるはず。

この記事はそれを伝えたくて書きました。

どうか一人でも多くの人が死を選ぶこと無く苦しみから解放されますように。

学校行かなくても結婚して子供できて仕事してますよ!
ちょっと「頑張らない」に気付くのが遅くて病気になってしまいましたが
もし親がそれを教えてくれていたら、きっと今頃は健康だった……かも。
とは言え「諦めない」ことで夢だった作家にもなれましたし、徐々に、確実に健康に近付いています。
色々苦労をしたなあとは思いますが、学校に行かなかったことで悪い人生を歩んでいるとは全く思いません。
ただ私には「必要な時間だったんだ」と。