mohumohux

病気や子育てについて書くつもりが、趣味の話が増えてしまった雑多ブログ。

福岡空港のLCCターミナルが閉鎖していた件。

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福岡空港は利便性が良い。

実は家から最も近い空港ではないのですが

羽田、成田に次ぐ日本三位の発着便数と日本一の滑走路一本当たり離発着数を誇るだけあって、何かと利便性の良い福岡空港

新幹線で博多駅まで行き、その博多駅からは地下鉄でたった五分という素晴らしさ。

LCC(格安航空会社)の運航が多いのも魅力。

 

でもLCCターミナルは古かった。

LCCターミナルは正式には「第一ターミナル」という名称で、その名の通り、ターミナルビルの中で最初に建てられた、古い建物。

地下鉄の出入り口からもそれなりに遠い。

ターミナルの一番端っこに、時代の流れから忘れられたように、ひっそりと佇むターミナルビル。

それが福岡空港の所謂LCCターミナルでした。

要するにPeachとかの格安旅客機に乗る搭乗口があるところ。

天井低く、照明もやや薄暗い気がする、そんな場所です。

正直、「安いんだからこれぐらい我慢しやがれこのやろー」というアナウンスが脳内で流れる感じ。脳内で。

設備的には、椅子と小さな土産物屋、あとはトイレがある程度。

現代の基準から言えば、決して快適とは言えないターミナルビルでした。

 

いつの間にか?閉鎖。

福岡空港、第1ターミナルが閉館 47年の歴史に幕

 

福岡ではニュースになっていたのかもしれませんが

福岡在住ではないため全く知らず。

 

最終的には全面改装するそうですが

とりあえずLCC利用者としては、一般の航空会社と同じターミナルビルを使えるのは大きな魅力と言っていいでしょう。

沖縄とか、倉庫ですし。倉庫。倉庫ですよ。倉庫。大事なことなので4回言いました。

 

trendy.nikkeibp.co.jp

 

LCCだから我慢せい!という話は、それはそれでよくわかるのだけれど。

やはり、我慢しなければならない点が少なくなるのは、非常に喜ばしい。

 

念のため、私はパニック持ちであるため基本的に飛行機には乗れません。人を送ったり迎えたりするだけです。

詳しくは下の記事で。

 

mohumohux.hateblo.jp

 

福岡空港ビルディング株式会社

ちなみに、福岡空港を運営する『福岡空港ビルディング株式会社』の代表取締役社長は『麻生 渡』さんといい、「あ、これ絶対、麻生前総理の関係だ」と思って調べたら、血縁関係はないらしいです。

福岡の麻生性恐るべし!

躁状態の「頑張り」と、鬱状態の「頑張り」の違い。

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躁状態の「頑張り」と、鬱状態の「頑張り」は、『明確に違う』。

躁鬱病双極性障害)の妻と長年一緒に生活してきて、躁状態鬱状態の見分けは簡単にできるようになりました。

この記事では、そんな私から見た

躁状態の頑張り

鬱状態の頑張り

二つの違いを書いていきたいと思います。

当事者ではない点だけ念頭に置いて頂くことを、ご了承ください。

 

躁状態の、頑張り。

 まず躁状態から。

病理的なことは専門の書籍等に任せるとして、躁状態とは、簡単に言えば「気分が長期間、極端なハイになって、中々降りてこない状態」だと思ってください。

気分が良い日があるとか、そういうレベルではありません。

極端に言うと、いつ「私は神だ」と言い出してもおかしくないような、根拠のない万能感を持っている状態です。

普通の人間は、自分にできそうもないことをしなければならない時、「できるだろうか」という不安を抱えながら、取り組みます。

しかし躁状態になると、「私には何でもできる」に変わってしまうのです。

 

よく考えずに突飛な行動をするため、例えば突然道へ飛び出す危険性が高いなど、普通なら起こりえないような不注意による事故の危険が常に付きまといます。

そして「私は何でもできる」という考えから、友人や知人、場合によっては完全な他人に対してであっても、「あなたはこうするべき」とか異常に強い口調で押し付けがましく言ってしまい、社会的信用を失います。

よく考えずに喋るから、とにかく口数も増えます。

 

そんな躁状態の人は、上手く立ち回っている場合において、非常に頼りになる頑張り屋と思われることもあります。

何せ本気で「自分は何でもできる」と信じ込んでいるのですから、ある意味強い人間です。

しかしそんなに強い人間はいません。

色々なことを抱え込み、寝食を忘れるほど思考も行動も飛び回った結果、どこかで力尽きます。

 

「異常なハイテンション」「万能感」「不注意」等が、躁状態における「頑張り」の特徴です。

 

鬱状態の、頑張り。

一方、鬱状態の「頑張り」はどうでしょうか。

鬱状態なので、常に疲れた顔をして、口数は少なく、声のトーンは低く、まるで一滴の水を探して砂漠を彷徨っているかの如く、苦しそうに作業をしながら少しでも休める時間を求めます。

これを私は無謀な有酸素生活と勝手に呼んでいます。

 

本人にとって無理しないペースで、適切な休憩と栄養補給を挟めば、人間は走り続けることができます。

これが健康的な有酸素生活。

 

無理なペースで生活していると、途端に身体は重くなり、酸素は不足し、いつか倒れます。

 

そして更に、無理なペースでいつか倒れてしまいそうだけれど、それでも休めない時。

どうしても無理を続けなければならない時。

私は無酸素生活と呼んでいますが

つまり、もう呼吸を止めて、瞬間的な力に頼っている状態。

当然の事ながら、無酸素生活は長続きしません。するわけがありません。

締め切り直前の漫画家や作家が忙しいとしても、それを何日続けられるかと言えば、恐らく一ヶ月も続かないでしょう。

無酸素生活のあとに呼吸できる時間があれば良いのですが、呼吸に例えると鬱状態は常に酸欠に陥るような病気ですから、満足に回復するにはとても長く、しっかりと深い呼吸をしなくてはなりません。

そのためには、入院管理を含めた静養が必要です。

 

躁状態は無酸素生活を続けてしまうから、反動が物凄い。

躁状態が終わる瞬間は、とても怖いものです。

徐々に軟着陸してくれれば良いのですが、中々そう上手くはいきません。

最悪の場合、身も心もボロボロになり、人間関係は崩れ去り、社会的信用は地に落ちている可能性もあります。

無酸素生活のまま暴れ回った結果、代償は、とても大きなものです。

ほとんどの場合において、躁状態の終わりは健康の始まりではありません。鬱状態の始まりです。

鬱病患者にとって、上に書いた「身も心もボロボロになり、人間関係は崩れ去り、社会的信用は地に落ちて」は、致命傷になり得るような、大きな傷となります。

躁状態の終わりはとにかく怖い。これが躁鬱病の妻を隣で見てきた私の思うことです。

 

鬱状態も、反動は強い。

しかし、鬱の方がマシというわけでもありません。

躁状態のように周囲の信用を乱暴に失う可能性は低いものの、精神的にはボロボロになります。

どちらにせよ、無理をするという行為は、健康な人間が健康状態を崩さない範疇で行う行為であって、病気、特に精神的な病の人間は、できるだけ避けた方が良いでしょう。

「頑張る」と言えば聞こえは良いですが、鬱病患者にとっての「頑張る」は、ほとんど「無理をする」と同じ意味です。

それでも避けられなかった場合、大きな休憩期間を設ける必要があります。

どうしても休憩期間が作れない場合は、入院しちゃいましょう。

規則正しい生活と確実な休息、栄養管理が待っています。

生きるための呼吸ができなくなって死ぬよりは、ずっとマシです。

一時的に、父子家庭になります。

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昨日の夕方頃に決まった話。

長男の小学校が普段より二時間ほど早く終わる、昨日の夕方頃。本来なら久々に遠出の予定でした。

主な理由としては、長男の冬着が足りなくなったため、買い増し。加えて、できれば外食。その他必要なものをちょこちょこ買う。

しかし、数日前に長男の一番仲の良い友達が、他県へ転校することが判明。

長男はその友達と遊びたがっている状況。

転校を繰り返す幼少期を送った身としては、痛いほど気持ちがわかります。

長男の冬着を買い増すために遠出というのは、親としてデザインや機能面などで少しでも良いものを身につけさせたいというだけで、ただの冬着なら近所の西松屋でいい。

ここで私と妻の意見が対立して

私「無理して今日行く必要はない。○○(長男)のために今、遊ぶ時間を削るのはおかしい」

妻「今日行くって決まってたのに夕飯とか全部どうするの」

と対立してしまう。

 

ここ数ヶ月、妻は頑張りすぎて、疲れていた。

0歳児がいるから仕方ないとは言え、一日の洗濯の回数が少なくて2回。多くて5回。(インフルエンザ時)

うちに洗濯乾燥機はないし、すぐに買える資金もない。

定期的にミルクをあげ、離乳食を作り、朝は長男を送り出して、夜は不眠症で眠れない。

鬱病患者の行動じゃないと思えるぐらいに頑張っていた。

決して躁状態ではないのは、見ていて明らかだった。

 

躁状態の頑張り と 鬱状態の頑張り については別記事で書きます。

別記事に書きました。

 

mohumohux.hateblo.jp

 

 

「これじゃないとだめ」という強迫観念。

私にも当てはまることですが

妻は「これじゃないとだめ」という強迫観念が強く

追い詰められれば追い詰められるほど、コントロールできなくなります。

今回の件は正にそれで

「今日じゃないとダメ」という気持ちが強すぎて

普段なら「仕方ないね」とか「じゃあどうしようか」、「土日に、必要なところだけでも行こう」で終わるところだけれど、今回は突然、家を飛び出すんじゃないかというぐらい怒り出して……。

まあ、昔なら本当に飛び出してたと思うんですけれど。

今回は一旦人のいない部屋に行って、そこで少し落ち着いてから戻ってきてくれました。

しかし明らかに精神がボロボロの姿を見て

私は思わず

「実家に帰ってみたらどうかな? 正直、0歳児と小学校一年生を抱えて、俺だけではまともに休ませることはできないよ」

と口にしました。

今の妻に必要なのは、完全な静養。

私がどれだけ頑張ろうと、子供達は母親を求めます。同じ家の中にいてそれを制限するのは、無理です。

 

妻の実家は基本、新幹線と飛行機で行く距離。入院も考えたけど……。

私と妻の症状はそう軽いものではありません。

これまで調子が悪い時期になる度に何度も病院側から入院を打診されていますが、入院すると片方に子供の面倒を全て任せることになってしまうため、お互いの実家を離れてからは入院を選択したことはありません。

今回も、もし単純に妻が入院したならば、私が家事・育児・仕事をやらなければならず、週に2時間程度ならヘルパーさんに入って貰えるとはいえ、現実的じゃありません。

私も調子を崩して子供達が行き場を失う可能性が高いでしょう。

でも実家に帰るのであれば、小学校一年生の長男は学校があるからともかく、0歳児の長女に関しては、一緒に実家へ連れて行くことができます。

0歳児の育児というのはやはり特別なものがあって、いくら家で仕事できる環境だからといっても、長時間目を離すことはできず、頻繁にミルク・離乳食をあげないといけません。当然、お風呂、おむつ替え、衛生面もサボることは許されません。

 

明日、妻が長女を連れて実家に帰ります。

結局その選択肢が一番と言うことに。

妻はギリギリまで頑張っていたので、実家まで辿り着く余力が残っていれば良い方……だと思います。

幼い子供と荷物を抱えての、新幹線→空港→飛行機の流れは、決して楽なものじゃありませんから。

本来ならばこんな状態になるまで頑張らせてはいけなかったのだけれど、やはり子供二人の同時インフルエンザは痛かった。夜中も目を離せず、私も精神的に結構追い詰められたというのが本音。

急だしお金もないけれど、LCCで航空機チケットを予約して、急遽、実家に帰って静養することになりました。

 

しばらく、私と長男の二人暮らし。

母親と離れることを知った長男は最初ショックを受けていましたが、今は元気に友達と遊んでいます。

私は完全な過眠症で、その上元々からロングスリーパーでもあるので、朝学校へ送り出すのが心配ですが、それ以外は多分何とかなります。

夕食は今までもよく作っていますし、洗濯物も二人分ならそう多くはないでしょう。買い物や金銭管理は苦手だけれど、頑張るしかない。

風呂は一人で入ってくれるし、宿題や翌日の準備も、今までだって何度もやっています。

 

問題は私自身の精神状態。

鬱病とは厄介なもので、理由もなく、切っ掛けもなく、突如死人のように気力を失うことがあります。

布団から出るのも無理。ご飯なんかどうでもいい。そんなテンション。

もちろん理由があって調子を崩すこともあります。今回の妻のように、無理をしすぎると私だって簡単に潰れます。

鬱病患者なんてそんなもんです。打たれ強かったり、長期間無理することができたり、それが許されるなら二週間に一回も通院しません。毎日欠かさず6錠の薬を飲んだりしません。

薬がないとうっかり死んでしまう可能性が高いから、本当は飲みたくない薬を、毎日欠かさず飲んでいるんです。

 

私は文章を書くのが好き。

実はこのブログ、ストレス発散装置のようなもので、アクセス数とか関係なしにただ書いてるだけだったりします。

誰にも知らせていませんし、誰に読んで欲しいわけでもなく、ただ書きたいことを書いているだけ。

そんな適当な文章を読んでくださる方には、本当に感謝しかありません。

4人家族の食費?

3ヶ月ほど前から、家計簿をつけることになりまして。

それまで滅茶苦茶だった家計管理を

数字の面から確認できるので

意外と楽しくできます。

数字がデータになっていくのは嫌いじゃない。

 

かといってレシートの入力をやるのは

そこそこ気力のいる作業なので

3ヶ月目にしてようやく入力をし終えたわけですが。

 

うちは乳児含めて4人家族です。

「4人家族 食費」でググると。

maternity-march.jp

manetatsu.com

setsyuyaku-master.info

 

等が上位に表示され

この記事によると、4人家族の食費は大体3~7万円だそうです。

 

……いやいや7万円はともかく3万円って何(´д`)

米とか外食外しても3万円台にはならないよ(´д`)

 

うちの食費は(米、調味料、外食費込み、ミルク代を除いて)57,000円でした。

ミルク代を除くのはありなのかなしなのか解りませんが。。。

離乳食だから量としてはないに等しいし

じゃあ3人家族分かというと、一応離乳食用に買うものもあるわけで。

ちなみにミルク代は月8000円です。

 

田舎で物価も安く、たまにご近所さんから野菜を頂いたりしていますが

それでも50000円切る辺りが精一杯かな……という気が。

3万円台は相当無理しないと不可能じゃないかな。

一人ならいくらでも無理できるけれど

家族、特に子供がいると、そこまで無理はできないし。

チャレンジしたくてもできない……。

アスペルガー障害なのに無謀にも飲食業に挑み、大失敗して借金を背負った私にとっての、診断とは。

以前のタイトルにあったように。

また、今もタイトルの下に書いてありますが、

私はアスペルガー障害です。

 

診断は30歳になってからで

それまでは自分が発達障害アスペルガー障害)だなんて全く思いませんでした。

周囲から変人扱いはされるものの

特別親しい友人には恵まれ

周りより早くに結婚もしていて

昔やっていた仕事は事務の管理職という

少なからず対人スキルが要求されるものでした。

 

しかしその仕事は

好きでやっていたわけでもなければ

得意分野だからやっていたわけでもない。

更に忙しくなればなるほど自分の能力が急激に低下することを感じ……。

多忙、つまり色々な仕事を同時に引き受けるには、向いていなかったんです。

 

そんな自分が嫌いでした。

昔から私は不器用で、運動音痴、要領が悪く、応用が利かない。

場面緘黙症のようにずっと黙っていることもあれば

突然マシンガントーカーになる事もあり、

また感覚過敏は小学生の頃からずっと指摘されていて

光や振動、音が極端に苦手。

乗り物に乗れば二秒で酔う。揺れが怖い。

揺れが怖くて、自分で歩く揺れさえ怖い。

横になれば心臓の鼓動が怖い。

 

……そんな人間は社会で通用しないと言われることも多くあり

このままでいてはいけないと、10代後半~20代の間は強く思い続けました。

私は器用にならなくてはならない

私は運動ができるようにならなくてはならない

私は苦手なものがあってはならない。

極端すぎるかもしれませんが、私は「丁度良い」というような塩梅、さじ加減がわかりません。

だから苦手な分野にばかり挑戦していました。

もちろん、やって良かったこともありますが

もし自分が発達障害だと最初からわかっていたら、やらなかっただろう無謀な挑戦も多々しました。

 

その最たる例が、飲食業で自分の店を開いてしまったこと。

(とても小さく、屋台が固定された程度のものでしたが)

私はサービス業ができません。

初対面の人と会話することが極端に苦手で

人の顔を覚えることができません。

親や兄弟でさえ思い出すのは難しい。

子供の顔も思い出せないことがあります。

 

また、二つのことを同時に行ったり

上手く切り替えることもできません。

これは調理と接客を同時にできないということではなくて

例えば会計に際して

「愛想良く、金額を計算して、現金のやりとりをする」

これは私にとって三つの作業を同時にやっていることになり、何度失敗しても何度経験しても上手くできないのです。

味だけは評判が良かったので、電話でテイクアウトの注文を受けます。

話をしながら、メモを取ります。

メモには注文を受けた品、名前、金額、を書かなければなりませんが

ほとんどの場合、どれかが書けていません。

酷い場合には、文字ではない何かぐにゃぐにゃした線だけが書かれていて、自分でもわけがわからなくなったりします。

だから電話の内容を一旦記憶して、紙に書き出すようにします。

しかし電話を切って直ぐ、別のお客様に呼ばれることがあります。

対応しないといけないと思ったが最後、一瞬で書くべき内容を忘れます。

 

私にとってサービス業というものは、苦手の塊であり、鬼門だったのです。

勿論失敗して、借金を背負いました。

しかし幸か不幸か、この時、ようやく自分の障害に気付き始めたのです。

 

サービス業で大失敗をして、専門の病院を受診し

アスペルガー障害だと診断された頃には

長年の努力の結果かわかりませんが

例えばIQテストにおいては、学生時代に受けたものと比べて

得意分野と苦手分野が完全に逆転していました。

アスペルガー障害の人が苦手であるはずの分野が検査上は苦手になっていなくて

一方、元々得意だった分野に関しては軒並み低下していて

総合的なIQは15程下がっていました。

苦手克服にばかり目を向けていた私の人生を集約したような結果です。

コミュニケーション能力にも問題は見られず

検査の結果から言えば、私に向いている職業は、サービス業だそうです。

笑うしかありません。

それができなくて困っているのに。

 

ただ検査を受けている際の、私の仕草や言動。

幼少期の状態等。

総合的に判断すると、典型的なアスペルガー障害という診断に至りました。

 

その診断自体は何らショッキングなことではなく。

私が思ったのは

「ああ、やっぱりな」

という冷めたものと

「もう、無理しなくてもいいのかな」

という、ちょっとした安堵でした。

 

私はそれまで、世の中の人は全て、初対面の人と会話することが苦手で苦痛だと思っていて

苦痛なのに楽しそうにできるって凄いな とか思っていました。

何か凄い修行でも積んだのではないかと。

でも、違ったんですね。

本当に好きで人と喋っている人は世の中に大勢いて

世の中と私は同じじゃなかったんです。

 

それ以来、自分の短所を認めるように努力するようになりました。

私は靴紐が上手く結べません。

上手く結べず固結びになってしまう。

これが嫌になり、悔しくて12時間ぐらい紐を結ぶ練習をした事があります。

それでも、できませんでした。

でも「自分は不器用なんだ」という前提で取り組むと

少し気持ちが大らかになり、余裕が生まれ……。

「不器用なんだ」と割り切ってからの方が、むしろ器用になった気がします。

 

自分にできないことを認めることで

自分にできることも見え始めました。

 

診断を受けるということは

自分が社会で生きていく道を探る上で、とても大事なことだと思います。

また、知らないで生きるより、知って生きる方がずっと楽です。

私は苦労することが好きな人間ですが

より楽しい苦労ができます。

結果が伴いやすくなります。

人から褒められることが増えます。

 

もしこれを読んでいる人の中に

自分は発達障害かもしれないけれど病院に行くことに抵抗を感じる

そんな人がいたならば、私は迷わず受診することをお勧めします。

検査の結果、違ったらそれで済みますし

もし発達障害であっても、自分の特性を知ることは大切なことです。

少なくとも、私のように無謀にもサービス業で店を構えて借金を抱え込むような大失敗は、しなくてすむと思います。